
喫茶店のマスターがいなかったら今頃・・・
引用元:yahoo!ニュースさんまは高校3年の時に落語家の笑福亭松之助に弟子入りした。だが、高校卒業後に当時交際していた彼女と“駆け落ち”し、東京・小岩に半年間住んでいたという。さんまは「パチプロで何カ月か暮らしていた」と語り、今でも残る“パチンコダコ”も披露した。だが、その後「喫茶店でウエイターやっていたことも」と言う。「ずん」の飯尾が「開店前にモーニングを食べている喫茶店でスカウトされたんですよね」と言うと、さんまは「偶然、うちの店に務めていた人がパチプロになって。それでパチンコ店で会って、“勝ちたいか?”って言うから“もちろん勝ちたい”って。“喫茶店来い”って言うから。あの時は釘の時代やから。釘を全部教えてくれて」と振り返った。その喫茶店でマスターと知り合いになり「お前何やってる?」と聞かれ「パチンコで暮らしている」と言ったところ「それはダメだ。うちに勤めなさい。みんなには内緒やけど、これこれの値段渡すから」と言われ、その喫茶店「ホープ」で働くことになったと明かし感謝した。
元パチプロだったことはファンの間では有名な話かもしれませんが「天釘」とか「バクダン」なんて用語も知っているようです。
当時のパチンコ(1960年後半~1970年代)を調べてみると、いわゆる手打ち式の物ばかりだったようなのでプレイヤーごとの技術の差が大きかった時代でもあるんですかね。
そのままそっちの道に行っていたら今のさんまさんは無かったのか。










